※こちらの記事は、私が乳がんの手術を受けた際の体験を元に綴っています。治療内容や経過、感じ方には個人差がありますので、あくまで一例として参考にしてください。
麻酔からの目覚め
(なんか喉がイガイガする…)
――そんな感覚に急に襲われた瞬間、真っ暗な無の世界から一気に目が覚めました。
目に映ったのは、手術用の眩しい照明と、自分の鼻と口を覆う酸素マスク。
そして、尿道カテーテルが入っている感覚が伝わってきました。
「あ、手術終わったんだ…!」
妊よう性温存治療(採卵)のときもそうでしたが、意識を失った直前の記憶から、一瞬で「手術後」に飛ぶような不思議な感覚でした。
喉のイガイガはすぐにおさまりました(人工呼吸のチューブの影響だったのかもしれません)。意識を失う直前まで履いていたショーツがなく、「ちょっと恥ずかしいな…」と思ったところで、主治医に私の左肩に手をポンと置かれ「リンパ取ったよ」と報告されました。
(ああ、やっぱり腋窩リンパ節郭清をしたんだ…)と心の中で思いながら、主治医に「ありがとうございました」と伝えました。
そのままキャスター付きベッドで手術室から病室へ移動。途中、ロビーで待っていた夫と少しだけ会話を交わすことができました。
術後の最初の夜
私の手術は朝9時から。
私は乳房の同時再建は行わなかったので、お昼過ぎには病室に戻ってきました。
〈戻った時の私の状態〉
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酸素マスク
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点滴
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尿道カテーテル
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両足の空気加圧装置(血栓予防)
身体には色々な装置が取り付けられ、ほとんど身動きできません。それでも、LINEで家族や友人に「手術が無事に終わったよ」と報告。パルスオキシメーターで酸素飽和度が問題ないと確認できたため、酸素マスクはその日のうちに外されました。
術前、がんサバイバーのエッセイ漫画で
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「声が出ないほど傷が痛む」
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「ベッドの柵を触られるだけで激痛」
…そんな体験談を読んでいたので、想像を絶するほど痛いのでは?と身構えていましたが、片胸全摘にしては驚くほど痛みは少なかったです(主治医すごい!)。
…でも、夜は本当に長かったです。
両脚の空気加圧装置が「シュコー、シュコー」と音を立てるたび脚が締め付けられ、
尿道カテーテルの不快感で体勢も変えられない。
さらに、抗がん剤治療中から続くホットフラッシュ(急なほてりと発汗)。
ウトウトしかけても、音・圧迫感・不快感で目が覚め、また眠れない。
朝が来るのをただ待つしかない夜でした。
途中、懐中電灯を持って巡回してきた看護師さんと目が合い、少し気まずくなったので、2回目以降は寝たふりをしてやり過ごしたのも今となってはちょっと笑える思い出です。
手術翌日(術後1日目)
この日は、一日中37度台の微熱。
看護師さんに手伝ってもらい、うがい、身体拭き、病衣の交換を済ませました。
朝食から病院食が再開し、点滴・空気加圧装置・尿道カテーテルも午前中に外れ、少しずつ身体が楽になっていきました。
ただし、全摘手術後3日間は手術した側の上肢の可動域が90度までに制限されていました。
一度だけ、身体を起こす際にうっかり左腕を90度以上に挙げてしまったことがあったのですが、バチバチッと電流のような痛みが走り、それ以降リハビリを始めるまで左腕を挙げるのが怖くなりました。
医師と看護師さんの多忙さに驚く
乳腺科の医師による回診が、朝と夕方の1日2回ありました。
担当の先生が病室を訪れ、傷の確認や体調をチェックしてくれました。
診察・手術・研究、そして回診まで…
「先生たちは、いつ休んでるんだろう?」と思うほどの忙しさに、頭が下がりました。
私が入院した病院の看護師さんは、シフト(朝・昼・夜)によって着用しているナース服の色が異なっていました。朝や日中お見掛けた方が、別の日は夜勤だったり、生活が不規則で体調管理がとても大変そうだと感じました。
退院を早める打診
入院準備中から、ずっと気になっていたのが入院費。
私は入院日をあまり深く考えず、月末近くの入院日をそのまま受け入れたため、退院日が月をまたぐスケジュールになっていました。
「できれば月をまたがず退院したい」
思い切って回診のとき主治医に相談すると、「末日の前日朝の時点で、ドレーンからの排液量が基準以下なら月末退院可能」とその場で快諾してくれました(先生は、その事を看護師さんにも共有してくれていました)。
結果、予定どおり排液が減り、月末ぎりぎりに退院することができました。
経済的な負担が減ってホッとしました。
※本来は入院日を決める段階で相談すべきことなので、入院後に交渉するのはおすすめできません…。
左腕のリハビリ
退院前日、ドレーンを抜いてもらい、そこから数か月の術後リハビリが始まりました。
腋窩リンパ節郭清をすると、リンパ液の流れが悪くなり、
肩や腕の可動域が制限される後遺症が起きやすくなるからです。
私は、自宅での自主リハビリを課されました。
8種類のメニューを、朝晩15回ずつ。
病院の理学療法士さんに、メニューを効果的に行うコツも教えていただきました。
最初は、仰向けで肘を床に付けるだけでも激痛。
15分以上かかり、「イタタタタタ!」と声を上げて涙目になりながらも毎日続けました。
地道な努力の甲斐もあって、今では左腕は右腕と変わらないくらいまで回復しました。
水抜きのための予定外受診
退院から数日後、左脇に水風船のようなコブが。
リンパ液がたまり、動くたび痛みも出てきました。
次の診察までは1週間半…とても待てず、病院に電話して急遽受診。
診てくれた乳腺科の先生が、
「(リンパ液)パンパンだね」といいながら太い注射器で抜いてくれ、
洗面器いっぱいに黄色いリンパ液がたまりました。
水抜き後、また少し液は溜まりましたが、自然にしぼんでくれたので2回目の受診はせずに済みました。
病理検査の結果
2週間後、病理検査の結果を聞きに、夫と一緒に病院へ。
胸の奥がドキドキしていました。
先生が見せてくれたのは、ホルマリンに浸かったせいなのか、黄色くぶよぶよでスライスの左胸の写真。変わり果てた自分の胸の姿に、胸の奥がぎゅっと締め付けられました。
でも、説明の中には希望もありました。
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左乳房にはがん細胞が残っていなかった(抗がん剤が効いた)
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リンパ節郭清で20個切除、うち転移は2個のみ
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転移数が少なく、放射線治療の必要なし
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病期(ステージ)は2A
放射線治療を避けられることは、将来の乳房再建にもプラスなので、ホッと胸を撫で下ろしました。
ただし、リンパ節に転移があった=完全奏効ではないということ。
つまり、抗がん剤で私の身体の中の全てのがん細胞を叩き切れなかったという現実です。抗がん剤が効かなかったがん細胞が、身体の中に残存している可能性が、完全奏効できた人と比べて、どうしても高くなります。
主治医は「再発は7割方大丈夫だと思う」と話してくれたけれど、病理検査の結果は、これからの生活に小さな不安の影を落としました。
あとがき
手術を終え、退院して、病理検査の結果も出て――ようやく一区切りがついたように見えますが、治療はこれで終わりではありません。治験への参加、そして定期的な経過観察という、新たなステージに入ります。
次回は、「治験参加と経過観察」について、私がどう決断し、今をどう過ごしているのかを綴りたいと思います。